米デュポール大教授・宮本ゆきさん寄稿
『なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識』(岩波書店)などの著作のある米デュポール大教授の宮本ゆきさんは、広島被爆2世の倫理学者です。戦後80年の今年、8月6日を広島で過ごし、アメリカに戻ってから、日本における終戦記念日の8月15日を迎えました。両国で感じた「80年」を巡るギャップについて、寄稿いただきました。
8月15日金曜日、米シカゴにある所属大学の人文学センターのオフィスでスタッフと来年度の計画についてのミーティング中、窓の外で轟音(ごうおん)が鳴り響きました。それは、アメリカ空軍所属のアクロバット飛行隊「サンダーバーズ」によるものでした。私たちは「燃料の無駄」「環境破壊」などと毒づいてしまいましたが、翌日からミシガン湖上空を舞台に行われる「シカゴ・エア・アンド・ウォーター・ショー」は、毎年大勢の観客を呼び込んでいます。
しかし、これは第2次世界大戦の勝利を祝ってのイベントではありません。このショーは毎年8月の第3週の週末に行われるのですが、たまたま予行演習が8月15日に重なっただけの偶然でした。「戦後80年」ということで日本では大きく扱われた8月15日も、普通の金曜日にすぎませんでした。
アメリカでは、終戦記念日は「対日戦勝記念日」(Victory over Japan DayもしくはVJ Day)として知られており、教科書などに載っている正式に日本側が降伏文書に調印した9月2日となっています。その上、第2次大戦における太平洋での戦闘は学校でもあまり教えられることはありません。むしろ、終戦に関係するイベントとしては、昨年の6月6日――日本でも「ディーデイ(D-Day)」あるいはノルマンディー上陸作戦として知られる――の80周年の方が大きく祝われており、当時のバイデン大統領はわざわざフランスまで行って式典に参加しました。
そして、1945年以降も恒常的に(と言っても良いほど)戦争をしているアメリカで「戦後」は第2次大戦だけではなく、常に「戦中」か「戦前」であるため「戦後」という感覚は希薄です。
「戦後」の感覚一つとってみても、これだけ違うアメリカ。
核を使用し、「平和のために」という名目で保有し続けているアメリカ。
成績優秀で軍に勧誘された兵士兼学生が高校や大学のキャンパスにいるアメリカ。
そのアメリカで30年暮らし、そのうちの20年以上は大学で核の授業をしてきた経験と、戦後80年の日本で見聞きした原爆論説・平和の定義との齟齬(そご)には、いまだに歯がゆい思いがあります。その齟齬を解き明かしつつ、これからの原爆論説・平和の定義について一緒に考えていければと思い、筆をとりました。
■原爆投下 米国での意識変化と世代交代
さて、今年7月28日に大手…